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結婚することになったあの日について少し話しますかね。
彼女はかわいいんですけどどうにも性格が合わなくてね、酒癖がとにかく悪くて何度も別れ話をこちらからしたりしていたんです。やや遠距離でしてね、月に1度か2度会っていました。
ぼくはその頃その子以外にも、本気でDOKI☆DOKIの片想いをしている人がいました。
2005年8月2日のことです。
ある遊園地で「あいのり系 出会いイベント」みたいなのがあると聞き、職場の友人と参加しようということになり、その打ち合わせも兼ねて仕事が終わったら飲もうかと話をしていました。
この通り、彼女や片想いの子がいながらゲスいこともしているわけです。ぼくって最低でしょう?
夕方サーバールームで仕事をしていましたら、彼女から携帯メールがきました。
本文には、
「3ヶ月だって。」
という一文がありました。
添付ファイルがついていたので開いたら、胎児のエコー画像でした。
「な、え、、んなあああああ!???」と叫び、サーバールームの床に、膝から崩れ落ちました。本当に崩れ落ちました。
遠距離彼女が妊娠していたわけです。それにしてもなんというシンプルな連絡。
申し訳ないがその瞬間は「子供ができて、うれしい」という感情などなく、落雷を受けたような衝撃と、「何かが終わった感」に全オレが支配されました。勿論「片想い」もそこで終了ですわね。
その子と結婚するとは考えてもいませんでしたが、すべてを、一瞬のうちに決意しました。
サーバールームから出て、彼女に電話し、
「結婚しますかねw」と伝えました。「式、やりたい?」と確認したら「やりたい」ということでした。
その日の「あいのり系 出会いイベント」決起飲み会は「結婚おめでとう」飲み会にテーマが変更となりました。
これがあの日のお話です。
そのときの胎児は、いま小学2年生の女の子としてぼくの近くで元気に生きています。
先日「パパって、もっとカッコいい顔に生まれたくなかったの?」と、歯を磨いているとき娘に訊かれました。その娘の顔は、誰が見ても驚愕するほどぼくに似ています。
彼女はかわいいんですけどどうにも性格が合わなくてね、酒癖がとにかく悪くて何度も別れ話をこちらからしたりしていたんです。やや遠距離でしてね、月に1度か2度会っていました。
ぼくはその頃その子以外にも、本気でDOKI☆DOKIの片想いをしている人がいました。
2005年8月2日のことです。
ある遊園地で「あいのり系 出会いイベント」みたいなのがあると聞き、職場の友人と参加しようということになり、その打ち合わせも兼ねて仕事が終わったら飲もうかと話をしていました。
この通り、彼女や片想いの子がいながらゲスいこともしているわけです。ぼくって最低でしょう?
夕方サーバールームで仕事をしていましたら、彼女から携帯メールがきました。
本文には、
「3ヶ月だって。」
という一文がありました。
添付ファイルがついていたので開いたら、胎児のエコー画像でした。
「な、え、、んなあああああ!???」と叫び、サーバールームの床に、膝から崩れ落ちました。本当に崩れ落ちました。
遠距離彼女が妊娠していたわけです。それにしてもなんというシンプルな連絡。
申し訳ないがその瞬間は「子供ができて、うれしい」という感情などなく、落雷を受けたような衝撃と、「何かが終わった感」に全オレが支配されました。勿論「片想い」もそこで終了ですわね。
その子と結婚するとは考えてもいませんでしたが、すべてを、一瞬のうちに決意しました。
サーバールームから出て、彼女に電話し、
「結婚しますかねw」と伝えました。「式、やりたい?」と確認したら「やりたい」ということでした。
その日の「あいのり系 出会いイベント」決起飲み会は「結婚おめでとう」飲み会にテーマが変更となりました。
これがあの日のお話です。
そのときの胎児は、いま小学2年生の女の子としてぼくの近くで元気に生きています。
先日「パパって、もっとカッコいい顔に生まれたくなかったの?」と、歯を磨いているとき娘に訊かれました。その娘の顔は、誰が見ても驚愕するほどぼくに似ています。
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というタイトルの、学園紛争を題材にした青春小説が昔ありましたね。
「僕って何」そんなことは40歳を前にしたおじさんになってもわかりませんし、それはもはやどうでもいいことです。ぼくは自分という人間には、本当にあまり興味がないんです。他人にもそんなに興味がない。エッチなことには興味あります。
20代は自意識がエラいことになっていて音楽とか文学とか映画とかテツガクとかそういうものをこじらせていましたが、だんだんと好きなものとイヤなものがはっきりわかってきてからは細々と、しんみりと、さながら盆栽でもいじるかのように文物と触れるようになって、アレもコレもと欲張る気持ちは消えました。
「自分にとらわれる」からこそいろいろなことを吸収できるのが若者というものですが、ぼくのようなおじさんになってくるとそういう「自分のかたち」みたいなものが窮屈で、燃えるような好奇心を原動力とした勤勉さみたいなものは失われてしまい、なんだか酒ばかり飲んでHなことばかり考えている、ヘラヘラした人間になってきてしまいました。しかしそれはぼくはとても「自由」だと感じています。
仕事をしていないときのぼくは自分の部屋でゴロゴロしてボーッとしています。小学生の読む図鑑のような本を読むのが、わりとマイブームです。奥さんはそんなぼくの怠惰な姿が醜いようです。かまうもんですか。何も考えずゴロゴロしているように見えて、宇宙のこととか考えたりしてるときだってあるんだ、こっちは。
まあそんなわけでですね、「僕って何」かはよくわかりませんが、そんなぼくです。
「僕って何」そんなことは40歳を前にしたおじさんになってもわかりませんし、それはもはやどうでもいいことです。ぼくは自分という人間には、本当にあまり興味がないんです。他人にもそんなに興味がない。エッチなことには興味あります。
20代は自意識がエラいことになっていて音楽とか文学とか映画とかテツガクとかそういうものをこじらせていましたが、だんだんと好きなものとイヤなものがはっきりわかってきてからは細々と、しんみりと、さながら盆栽でもいじるかのように文物と触れるようになって、アレもコレもと欲張る気持ちは消えました。
「自分にとらわれる」からこそいろいろなことを吸収できるのが若者というものですが、ぼくのようなおじさんになってくるとそういう「自分のかたち」みたいなものが窮屈で、燃えるような好奇心を原動力とした勤勉さみたいなものは失われてしまい、なんだか酒ばかり飲んでHなことばかり考えている、ヘラヘラした人間になってきてしまいました。しかしそれはぼくはとても「自由」だと感じています。
仕事をしていないときのぼくは自分の部屋でゴロゴロしてボーッとしています。小学生の読む図鑑のような本を読むのが、わりとマイブームです。奥さんはそんなぼくの怠惰な姿が醜いようです。かまうもんですか。何も考えずゴロゴロしているように見えて、宇宙のこととか考えたりしてるときだってあるんだ、こっちは。
まあそんなわけでですね、「僕って何」かはよくわかりませんが、そんなぼくです。